げいむ日和

ゆるゲーマーの日々の雑記です。

6月1日【メギドアーク】

f:id:metabii:20190601212052g:image

我々は常にかの光に怯えねばならぬ

ソドムとゴモラを焼き付くし、かの日の再現となる破滅の火を。我々はかくとして意識せねばならない、光あれとされた世界はならば光が消える事もまた容易い事なのだということを

 

肉欲と愛憎と承認欲求。

日々、体の肉を削ぎ落とし生まれる札を行使した。多くの物が者がモノが私達にとっては無意味であるがそれを明として言うことには能わずその実を求めひたすらに永遠に回転するかの如く其の坩堝に札を投げ入れた。望んだ結果を得た者も居れば、また暗鬱の災禍に身を飲まれる者も居た。それを見て嗤う者あり皆にとっての金塊に等しき結果を無意識無意味無自覚に見せつける災禍有り。誰も彼も光無くしては生きられぬのにその光を見せびらかし、かも自分のモノになったかのように振る舞う、それを振り返り浅はかな我が身を呪う者も居ればまたそれに気付かぬものも居た。

 

光あれとして我等は多くの物を見た。

だが、その光が突如として消え去る事がある。

誰しも分かっていようがいまいがそれはやってくる。それは様々な姿を得て我々の元にいつか必ずその姿を表す魔の者に似た裁定者である。

 

愛を注ぐ、その形は千差万別あれど裁定者ですらその形を咎める事は出来ない。それが我々が唯一得た、光あれとされた世界で示すことのできるエゴだからである。偶像崇拝、祈り、過熱する哲学同士のぶつかり合い、時には多く傷付け、傷付けられそれでもこのエゴを持たずして生きていく事など出来はしないと私は思をつまびらかにする。

主であり裁定者からの指先1つで消えゆくこの光であるが我らは私はこの光を受け取った時から想いを抱く事になる。それは大きくもなればまた何事も無かったかのように立ち消えていく事もある。だが、その想いは想いを抱いていた時の我らのエゴは消えはしないのである。日々思う事もあるだろう、月日のさながら思う事もあるだろう、 ふとした瞬間にしか思わない事もある。だがエゴはそれを刻んだこの体からは消えないのだ果たしていつの日か完全に我らが忘却の彼方にて彼岸を見つめる日が来ようとその瞬間は永遠である。

 

今多くの先達が消えゆく光を目にしている。輝かしくも憎々しい、その道程を

光あれとされた私達が見つめている世界いつか約束されたメギドの火が世界も我らの身も心も焼こうともエゴを忘れてはならない、その光から得、思考し、また新たな光を紡ごうとした我らのエゴを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:metabii:20190601211708j:image
f:id:metabii:20190601211712j:image

まあ何が辛いってそういう事(サービス終了)

ですよね。